わたしは予備自衛官です。
前にも書いた様に、昭和の終わりから平成の初めのころの25歳まで、現役自衛官として
国防に青春を捧げた一人だ。
当時、一般募集の2等陸士から、陸曹候補生への昇任試験を一選抜(一回目)で合格、陸曹候補生として厳しい訓練を終え、3等陸曹として平成5年まで勤務していた。
人間は時間とともに、また環境が変われば、心境も考え方も、少しずつ変わってしまうもの。
今は、成り行き上、机上での仕事、いわゆるホワイトカラーと言われるような仕事環境であり、体を酷使して働く者の気持ち、現場での苦労から少し離れてしまっている。 良くない。
鈍った自分の体と心を鍛え治すため、先日、予備自衛官としての訓練に参加して来た。
早朝6時、寒空のもと、北富士駐屯地から東富士演習場へ、
外の景色など見えない、ODカラーの幌一枚の人員輸送用車両の荷台に横向きに乗り込み、
富士の裾野にある、屋外の射撃場に付いたのが朝の7時ころ、白い息を吐きながら
体を丸めて、耳栓を仕込み、自分の順番を待つ。
10人1グループの3番目、3射群でわたしが射撃するころは、ポツリポツリと冷たい
雨が振り出して来た。
寒さで体も動かない、雑毛布一枚、ごつごつした地面に這いつくばって、冷たい銃を抱え込んだ。数十分。
結果は、なんと当日の射撃訓練の中でトップの成績。 賞状を頂いてしまいました。
無欲で望んだ結果でしょうか?
しかし、今回初めて撃った89式小銃、反動が少なく、重量も軽く、整備しやすい。
世界でもトップレベルの性能の銃だと思っている。日本の技術はすごい、
こんな私でも当たる。
そんなことより、
忘れてはいけないこと。
自分の事ではなく、多くの人たちが、生きるために、
眠い目をこすり、寒さ、暑さに耐え、軋むからだをごまかしながら、
来る日も来る日も額に汗をかいて働いていること。
自分はなぜ政治を志したのか、原点をしっかりと見詰めたい。
昨今、永田町では、力強い言葉が踊っている。
防衛軍、核武装、憲法の改正
正気の沙汰とは思えない異常な状態ということに気づかなければならない。
政党のトップが堂々と口にする言葉としては、あまりにも危険だ。
もう忘れているのか、武力の増強では、なにも解決しないことを。
SPに護られた政治家が、口先だけで国防を語ってしまうこと、そのことの怖さを。
残念ながら、今の国際社会においては、抑止力としての武装は必要なことであると思う。
しかし、現場の自衛官は持っている武器の威力と怖さを知っている。
万が一でも、実戦として使うことがないことを願っているはずだ。
真っ先に戦火に送られるのは、掛け声をかける権力者でははなく、
現場で汗する人たちということ。
何の罪もない、普通の生活を送っている若者だということ。
いまの平和な日本は、どのような犠牲の上で成り立っているのかということ。
しっかりと考えてほしい。
12月のクリスマスムードと、さまざまな争点の中に埋もれてしまった
平和憲法の行方。
埋もれてはいけない、きわめて重要なこと。
判断するのは私たち一人ひとりである。